オリーゼ誕生物語

第三章

創業者の人生哲学

『オリーゼ』を生みだしたのは当社の創業者である私の父、大場八治です。

大阪時代、浪曲界に飛び込んだ父が「小武蔵」、のち改名して「大宮歌右ェ門」として活躍、文芸浪曲という新しい分野を開いたことはすでにご紹介しました。父が自ら執筆したオリジナルの浪曲台本には『マハトマ・ガンジー伝』や『親鸞聖人伝』などがあります。

ご存じのように、マハトマ・ガンジー(1869〜1948)は、「ブッダ以来の最大のインド人」「インド建国の父」と呼ばれた偉人です。「マハトマ」とは「偉大な魂」という意味。信仰心の篤い家に生まれ、とくに慈愛と優しさに満ちた母親の影響を強く受けました。13歳で結婚。18歳でイギリスに留学し、弁護士の資格を取ったあと、南アフリカに渡ってインド人同胞とともに非暴力・不服従の運動を展開するようになります。しかし、夫婦生活におぼれて父の臨終に間に合わなかったことがひどく彼の良心を苦しめ、幾度かの失敗を繰り返しながら37歳で完全な禁欲生活に入りました。

ガンジーはイギリスに対して完全なる自治を求めて戦いましたが、それはインドを神の手にゆだねるため。国内では根強い差別カーストと戦い、ヒンズー教徒とイスラム教徒の和解と統一を求めて戦いました。生涯、何十回も投獄され、断食を重ねながら難しい問題の一つ一つに立ち向かっています。こうした非暴力・不服従に徹した彼の生涯は、国内外の人々に実に大きな影響を与えました。ガンジーの「私の愛国心は人類の幸福を含んでいる。したがって私のインドへの奉仕は人類への奉仕である」という言葉は、よく知られています。

一方、親鸞聖人(1173〜1262)は浄土真宗の開祖として知られます。9歳で出家して以来20年間を比叡山で過ごしますが、29歳のとき、比叡の俗化を嫌って山を下り、法然に師事。のち、親鸞は越後に流され、そこで結婚します。在家主義で、肉食妻帯を許した親鸞の教えは"報恩感謝の念仏"であり、その信仰においては俗のように見えて、本当はとても純粋なものではなかったか、といわれています。親鸞は90歳まで生き、天寿をまっとうしました。

父が、いかなるいきさつでガンジーや親鸞に出会ったのか、私は知りません。しかし、一本気で正義感が強く、純朴な青年だった父は、たまたま知った偉人の生き方に強く心を打たれたのでしょう。ガンジーや親鸞に共通するのは、かぎりなく広くて深い人類愛です。貧しき者、子どもや女性をはじめとする弱い立場の者、病める者に対してどこまでも優しく、ともに痛みを分かち合う心の豊かさがあります。父は、偉人伝を台本化することで、願わくば自分もこのように生きたい、と考えたに違いありません。

このような浪曲師であった父が片山先生と出会い、酵素と出合った。命の営みに不可欠な酵素について学び、酵素を作ることで人の役に立てることを知った。父は残りの人生のすべてを『オリーゼ』に捧げることをためらいませんでした。

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