オリーゼ誕生物語

第四章

『オリーゼ』のふるさと、浜玉町と七山村

 

当社が位置する佐賀県唐津市浜玉町は、西にひらける玄界灘に沿って美しい虹の松原が縁取る玄海国定公園の中にあります。玄界灘を縁取るのは総延長約6キロ、幅400〜600メートルに及ぶ唐津砂丘の中央に広がる100万本のクロマツ林、日本三大松原の一つ「虹の松原」です。樹齢100年を超すマツが茂るこの虹の松原は、当社のすぐ横から唐津市内まで延々とつづいています。浜玉の白砂青松の景観と豊かな自然は、かけがえのない私たちの宝ものです。

そして、『オリーゼ』のもう一つのふるさとが同七山村にあります。

浜玉町の東に位置する七山村は、脊振・天山山系の尾根につながる山嶺群に囲まれた山里です。穀地蔵岳(標高893メートル)、浮岳(標高805メートル)をはじめ標高500メートルを超す七つの山が連なり、山あいを流れる玉島川に沿って集落が点在しています。七山村の真ん中を流れ、この浜玉町を経由して玄界灘へと注ぐ玉島川は、神功皇后がアユを釣ったという伝説が残っているほど古くから知られた清流です。

神功皇后は仲哀天皇の皇后です。仲哀天皇が福岡の香椎宮で亡くなられたあとを継ぎ、新羅へ出兵し凱旋。筑紫で出産したことで有名な皇后ですね。海を越えて新羅に渡る前、戦果を占おうと自分の衣から糸を抜き、それを釣り糸にして玉島川で魚を釣った。釣れた魚が「魚偏に占う」と書く鮎(アユ)でした。玉島川は「鮎」という字の語源となった由緒ある川なのです。神功皇后の故事にならい、明治の初めころまで、この川でのアユ釣りが許されていたのは女性だけだったとか。

それはさておき、豊かな水量と清らかな流れ、深い山々を縫う幾筋もの支流に見られる数々の滝…。七山村は、大自然のふところに抱かれた桃源郷のような山里、と言っても過言ではありません。

戦後、大阪から帰郷した父が再婚した女性、私の母は七山村の出身。また私の妻・小百合も七山村生まれです。私自身も生まれたのは母の実家ですから七山村です。平成の大合併で唐津市と合併したから今では唐津市七山ですが、ここでは七山村で通します。

母の実家は七山村のなかでもひときわ山深い、小さな集落の中にありました。私にとっての曾じいさんは七山村の初代村長で「七山村」の名付け親だったそうです。高い石垣の上に建坪200坪はあろうかという2階建ての大きな家があり、座敷が居間より一段高くなっていたことを覚えています。春休みや夏休みになるとバスに揺られて、母の里に出かけたものです。自然の豊かさはもちろん、優しく迎えてくれるおじいちゃん、おばあちゃんが大好きでした。七山村の人々の明るさや、濃やかな人情も大好きです。

『オリーゼ』には、麹菌の一種「アスペルギルス・オリゼー菌」、納豆菌の仲間「バチルス菌」、消化酵素のアミラーゼやプロテアーゼなどの酵素がギュッと詰まっていることはご紹介しましたが、これらをはじめとする百数種類の麹・酵母・乳酸菌に、自然豊かなこの七山村の自家農園で栽培したキダチアロエ、ドクダミを加え、当社独自の製法で安定培養させ、顆粒状にした醗酵食品なのです。

現在、七山村には原料を栽培するための自家農園しかなく、その広さも自慢するほどのものではありません。しかし今後、できれば早い時期に、当社の工場を七山村に移したいと考えています。七山工場の青写真も、すでに描いています。新しい工場には、昔ながらの本物の「室(むろ=麹などを入れておいて暖められる、あるいは外気と触れないよう特別の構造をした部屋)」を作りたいのです。必ず実現させます。

▲山あいを流れる玉島川

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